マリア信仰
カトリックにおいて、マリア信仰は根強い
私も娘も、洗礼名のひとつは、マリアである
久しぶりに信仰に関して書いてみる
年が明ければ、間もなく60、生まれた時から暦をまるっと一巡りしたわけだ
冗談抜きで、終活を考えていたら、ある人に、振り出しに戻るんだから新しい人生を始めるのよ、と言われた
終わりじゃなくて始まりか、、、
まあ、始まりについては後日書くとして、まずは一回終わりについて書こう
娘に、いつぞや、私が死んだら葬式もいらないし、献体で、と話したら
それは困る、葬式はやる
と言われてしまった
葬式をやるなら、私の場合、教会である
以前から、お葬式の際、福音がかかれた聖人カードをいただくことがあり
ちょっと憧れがあり、私はどの福音にするか、決めている
マリアは、受け入れ難い事柄を、すべて受け入れた人生を送ったと言える
マリアという名は、当時、とてもポピュラーな名前で、よしこちゃんとかはなこちゃんとか、そんな感じだったらしい
そんな普通の女の子に、ある日天使が現れて、結婚前だというのに、子を宿し、男の子を産む、しかも神の子だという
それをマリアは受け入れ、馬小屋で神の子を産むのだ
神の子は、自分が産んだ子である
どれほど愛して、大切に育てただろう
奇跡とともに月日は流れ、神の子は磔にされて死ぬ
我が子の死、それ以上の苦難はないであろうに、それすら、マリアは受け入れた、いや、受け入れるしかなかった
マリア信仰が根強いのは、単にこの受け入れる姿が為だろう
私は、いったい死ぬまでに、どれだけの事柄を受け入れられるのかな
マリアの名のように、生きられるのかな
聖書をよく読まれている方には、もう、私の葬式に刷られるカードの言葉は、おわかりなのではないかしら