明日のほうが きっとしあわせ

昨日より今日、今日より明日。子育て、進学、カトリック生活、仕事、趣味……。

クリスマス

娘が生まれてから、初めて、バラバラで過ごすクリスマス

幸い友人が誘ってくれたので、ミサに与った

 

娘が小さい頃は、人並みにというか、ちょっとご馳走にしたり、ケースを焼いたりしたけど

お節料理とともに、「クリスマスだから」みたいなメニューは食卓から消え

クリスマスツリーの形のかまぼこを乗せたうどんを食べたりした

 

昨年、娘は帰省して、クリスマスイブのミサには同行したけれど、翌日は、わざわざ愛媛から来てくれた彼とふたりで出かけていった

そして、今年は、24日の午後まで大学の講義があった為、泣く泣く娘は、寮でミサの配信を見ていたという

彼とのデートは翌日

 

少しずつ、離れていく娘ではあるけれど

親子であることだけでなく、クリスチャンとしての繋がりがあることが、なんともありがたく

まさに恵みであると

そんなことをしみじみと思い、感謝している

わかりあえない

60を少し過ぎた今も、自分の親、兄弟とわかりあえない自分を思う時

そもそも、アカの他人で、たまたま同じ職場だったり、同じ地域だったりする人と真にわかりあえるはずもないことは、わかりきっていることである。

それでも、時々

え?

と思うことに遭遇するのは、まだ、私は何かに期待している、ということなんだろうか。

 

どんな評価を受けようと、まあ、いいんじゃない?って思えるほど、まだ人間が出来上がらない。

 

こちらがいくら、理解しようと歩みよっても、そもそも相手にその気がないのだかは、成立しない。

 

つい、誰かの悪口を言って、自分を納得させたり、慰めたり、、、

 

先日、友人がきて言っていた

断捨離っていうけどさ、モノだけじゃなくてヒトもだよね~

この年になって、わざわざ気のあわない人と付き合う必要ないもん

 

つきあうのは、よい

だって関わらないと仕事や日常がまわらなかったりするから

でも、わかりあえない人に努力するのは、空しいだけ

ウワベだけっていうと、寒々しいけど

ちょっと寒いくらいが、心地よいのかも

だって、わかりあえないんだし

 

ちょっと、つかれてます。

 

 

 

 

総ツッコミ

娘のところに行ってきました。

そろそろ和服のおばあちゃんを目指しているので、和服で。

なにより、娘のところへいく理由は、部活、邦楽の定期演奏会があるから。

行きの飛行機が遅れ、娘の住む大学の寮につく頃には、もう日は西に。

近くのカフェに夕飯を食べに行き、荷物のあれこれをやりとりして、私は、とっぷり暮れた中を電車に乗って宿泊先のホテルのある市へ戻ったのですが、、、

エスカレーターで、よろけて、尻餅をついてしまいました。

着物に羽織、更に雨コートを着ていたし、特に何か汚れたりすることもなかったのですが

自分にびっくり

翌日は、持っていった訪問着を着て、また、羽織、雨コート。

朝昼兼用の食事をとり、少し買い物等して、定期演奏会へ。

公園を抜けていこうと、進んでいて、、、

なんと、砂利道で転びました、、、。

恥ずかしいし、さっと立ったし

また、コートに守られて、膝は痛いけど、お着物は無傷。

演奏会を楽しみました。

演奏会後、挨拶に出てくる娘達を待っていたら、仲良しの同級生もいて

来るとき、そこで転んじゃって~ と言ったら

「大丈夫なの?」

「なんで?

「もっと運動しないと!」

骨粗鬆症にならないためには、、、!」

医者のタマゴ達に、次々、つっこまれました。

 

縄跳びしたい と、思っております、はい。

 

病は気から

運良く、無事に乗り越えたからこそ、言えるのだろうけど。

病は気から っていうのは

気持ちの持ちよう、というより、体を巡る気のことだと、聞いた

 

私は、自分の腎臓にできた腫瘍について、なんの根拠もなく、悪性のいわゆる癌だとは思っていなかったし

手術についても、たいした手術じゃない、と思っていた。

だって、今死ぬわけにいかないのよ、アタシ。

(悪い気を回すつもりが、無かったらしい)

 

だから、いよいよ、入院準備で

「3時間、呼吸を止めます。」

「大きな手術」

と、説明を受けて

 

はああああ?   (こころのなかで大声)

 

ってなった。

 

でも、このノーテンキな感覚があったこともあって、結果として、手術はうまくいき、癌ではなかったとも言える (ノーテンキのキは、気)

そう、いまだから   ですけど。

(勿論、石川先生とスタッフあっての結果です)

 

この手術、腎臓騒動のあと、、、退院して、自宅療養して、職場復帰して、やれやれと思ったあと、、、

コロナになりまして

 

でも

体から、腫瘍をとり、コロナから立ち直り

考えたんです

 

残りは、楽しくやらないと!

そろそろ、私のために、私の好きなことしても、いいよね、、、って

 

実家やら嫁ぎ先やらに、がんじがらめだった頃は、思い出したくもない。

でも、子育ては、ひとり親であるがために、大変でもあったけれど、私の好きにやらせてもらった。

足りなかったことは数えあげたらキリもなく

娘は、どう思ってるかわからないけど。

私は、好き好んでで娘を育てた。

娘は、いま、自分の好きな道を邁進している。

 

そろそろ、娘の邪魔にならぬよう

私も私の好きな時間を楽しもう。

 

余計なものをとり、ウィルスはでていき

良い気が、私の中に巡り始めている、と思うと、また少し元気がでる。

 

 

 

 

治療方針2

CTを撮った結果

画像から、ひとつの判断をだすのは、放射線科の仕事である。

石川先生は、それを、まるごと見せてくれた。

いろいろ書いてあったし、画像もついていたけど

最後の方に書いてあったのは

「癌である可能性が捨てきれない」

これで、何もかもが吹っ飛んだ。

で、先生の

「僕としては切りたい」

 

切ってください

と、私は、すぐに答えた。

「前回、人間ドックから持たされた画像を見た時、先生が、これなら、もし切ることになっても、取りきれるって仰ったので、こうなることは予想していました。切ってください。先生におまかせします。」

娘は、無言だった。

「うん、取りきれるよ!

じゃあ、どんどん話、進めるよ!」

先生は、相変わらずのイケメン対応(笑)

 

ロボットアームの説明、手術の手順、日程、入院手続き、、、

なんと、今日の帰りに入院の予約をして帰れと言う。

娘にも、ロボットアームを渡し、、、

私のカルテには、術後の連絡先として、娘の携帯電話番号、そして愛媛大学医学部3年、と

書き込まれた。

その時点では、娘は、手術日は、立ち会わない、となっていた。

死ぬようなことはない、一週間ほどの入院だし、、、

大丈夫、ひとりで出来る、、、

なぜか、ポジティブ全開の私だった。

 

家に戻って、娘

「悪性ではないのか、、、」と、最悪を想定し、おもいをめぐらせていたのだろうが

高校時代の友人の集まりに、出掛けていった。

そのすきに、私は、といえば

大学時代の親友に、電話を入れたのだった。

「わたし、いこうか?手術の日!」

いや、大丈夫よ~、娘にも来なくていいって言ったのよ

 

先に言っておく

手術と入院生活、ひとりじゃ全然ダメでした。

 

 

いつも怒っている人

自分にも覚えがある。

いつも、イライラしていて、文句が多かった。

10代の頃は、進路や同級生に腹がたった。

しかも、親にがんじがらめにされていた。

就職しても、結婚して家をでても、満たされることはなかった。

いつも、誰かの支配下にいて、浮かび上がりたいのに、地面に叩きつけられているような気持ちから抜け出せなかった。

いまも、腹がたつことはあるわけだけど(笑)

子どもが生まれて、ほどなく、ひとりで育てることになり

夢中で走り続けて

腹がたっても、早く抜け出せるようになった。

そうしないと、生活がまわらないし

娘の幸せしか、眼中になかったから。

だから、むしろ、周りの方々が、私に腹をたてていたかもしれない。

 

最近、よかれと思っていろいろ相談にものったし、愚痴もきいていた(つもり)方から

それはそれは長文のお怒りメールをいただいた。

返信しないことも考えたけど、散々考えて考えて

不愉快な思いをさせて申し訳ありませんでした

とだけ返したら

翌日

「私が嫌なことをわざわざ知らせてきて

不愉快というより、不可解です。

仕事でもないのに」

はあ、、、

 

私の知人をあまりにも口汚く罵るから、そこは誤解ではないですか?私や友人は親切にしていただきました、と言ったのが、火をつけたのでしょう

 

私も、あなたの機嫌をとる為に生きているわけではない

と、喉まででかかったけど(というか、文が浮かんだけど)

この怒りの状態に、これ以上、いくら言葉を重ねても、それこそ不可解だろうと

それきり返信はしていない

 

私もうかつだった

手をひくタイミングはあったし、いつか怒りの矛先がこちらに来ると予想はできたのに

つい、浪人中の息子さんが気がかりで、つきあってしまったのだから

 

私も怒りに怒っていた時期に覚えがある、、、

でも、ここまで暴れた覚えはないなあ(たぶん)

 

(息子さんの受験が終わり)

怒りのマグマがおさまって、溶岩が冷えた頃、彼女が何を思うのか

そこに私はいないし、彼女の思いも、息子さんの進路も、聞く必要はない

 

 

治療方針1

そうだった。

始めて日赤医療センターに行った時、画像をみて、「これなら全部取りきれる」と言われて、ああ、手術たわ、とは思った理由のもうひとつが

次にくる時、家族は連れてくるのか、ときかれたからっていうのもあった。

家族は、娘がいるだけで、遠方にいるし、ひとりで決める、と応えた。

それでも、ちょうど娘が帰省する時期にあたり、それはに選択させようと思っていた。

なぜ、次に家族を同伴させるのか

それは

「治療方針を決める」から

 

いつも通り、帰省した娘を羽田に迎えに行った

そして、恒例のお寿司を食べながら

娘に、CTの結果が出るのは◎日なんだけど、、、一緒に行k

言い切らないうちに

「行く!!!」

 

帰省する時、勉強道具も抱えてくるが、小中高の友人、高校の部活仲良し、更に予備校の同期と会い、東京を離れるまで住んでいた場所の商店街に行き、、、なにかと忙しい娘ではあるけれど

私の病院に付き添ってくれる日の昼間は、運良く空いていたこともある

空いてなくても、きたかもしれないけど

 

ひとりで来ますと行ってあったけど

診察室のドアが開いて、、、

「ご家族もどうぞ」と、先生は言った。

 

そして

放射線科の診断を見せながら

「怖がる必要はないよ」と前置きして

「僕としては、切りたい」

 

そうだよね~と、私はお気楽だったけど

娘は、それなりにショックだったらしい