病んだ精神
最近、承認欲求という言葉をよく耳にするようになった。
なんか、かっこいい病名?みたいな響きもあるけど
昔は、自慢とか虚栄心とか、それに近い嘘が、これだったのかも
あと、 私はこんなにかわいそう っていうのも近い
かつてお世話になった先生が、ある時
いろいろつらいことがあったが、それを黙っていることで、僕は乗り越えてきた
と、おっしゃった
私は、その時、15か、16だったのだが
とても感動したのを覚えている
私のおかれた家庭環境は、ひきいめに言っても、悲惨な状態だったから、見栄をはり、嘘をつき、なにか得意なことが評価されれば自分がこの世で一番のような気持ちになったし、経済的なことについては、親に遠慮をして、自分の好みではない物や進路を宛がわれても、受け入れるしかなかった。
進みたい大学を諦めて、夜学に決め、昼間は企業に就職したわけだが
家庭にいる時間が減ったことは幸いで、もし、就職だけだったり、大学だけだったら、精神を病んだのではないか、と思っている。
娘と同い年の女の子が、家から出た方がよいだろうという勧めと本人の希望から、地方の有名大学に進んだが、公開されているツィッターをみると、不安になる。
きっと高校生の時点で、鬱の診断がでていたのだろう。精神安定、抗うつ、睡眠導入に使われる薬と、カフェインを交互に飲んでいるように見えるから。
家庭が負担になり、家族に見守り養育する力がなかったとして、では、ひとりで家庭から離れても、安定に向かっているようには見えないから。
人は、いろいろな苦しみを抱えて生きていく。
ただ、精神を病むほどの苦しみは、どこかでうまく手放さなくてはいけない。
もしかしたら、つらい思いを人に打ち明けないことで生きてきた先生も、語らない、という事実を自分自身確認することで、苦しみから逃れていたのかもしれない。
そして、私にそんな話をしてくれたのは、私の中に、似たような苦しみがあることに、気づいてくれたのかもしれない。
危うくみえる女子大生は、ツィッターに逃れているのかもしれない。
病むほどに、苦しんではいけない。
私は、過去に戻りたいとは思わない。
きっと楽しいこともあったのだけど、苦しいことが、それを上回ってしまい、思いだすのがつらいから。
過去の苦しみは、過去にある。
明日は、今日より、いいはずだ。