精神科医の物語
録画してあったドラマをみた。
「心の傷を癒すということ」
阪神淡路の震災の際、被災した人々に寄り添い心のケアに奔走し、日本における(心的外傷後ストレス障害)PTSDの先駆者となられた安克昌先生の記録を元に作られたという。
何年、いや何十年過ぎても、心についた深い傷は消えるものではない。
震災時のドラマと聞いて、実は少し躊躇した。死傷者の描写や涙や叫び、、、ちょっと恐いし。(この点、結構弱虫なもんで)
でも、録画しておいてよかった。
1回目(全4回)は、在日韓国人としての少年時代から始まり、厳しい家長の父親にびくつきながらも医学部に進み、敬愛してやまない精神科医の元勉学に励み、初めて?父親に逆らって精神科医となる。プロのような腕前のジャズピアノ。恋愛と結婚。
まさに青春と呼ぶに相応しい、青春時代。
やがて、震災の日を迎える
ここまで。
自分が在日韓国人だと知った少年は、自分の日本風通称に「にせもの」と呟く。
大学受験をひかえた高校生の時には、親友に本名をうちあける。本名と通称、どっちで呼んでほしいか、と聞かれて、「どっちでも」と言ったあと、「本名のほうが、嘘ついてない分いいかな」と言う。
自分が何者であるのか、というテーマが見える。
娘には、「人はいかに生きるか」は、なにかを考えた時、究極の答。
なんて言っている私なのだが。
人はいかに生きるか、は、いかに死ぬか、にも通じる。
そして、わかっていることは、安先生は、精神科医として志半ばで天に召されていること。
短い生涯で、彼がいかに生きて、何を残したか
自分が何者であるか、を追求しながら、誰かの為に、そして誰かの心の傷を癒すことに尽力した安先生の物語
私は、とっくに彼の年齢を追い越しているけれど、「あなたは、どうするの?」と言われている気もする。
死んだとき、私は何者と呼ばれるんだろう。