ご復活 イースター
私達、クリスチャンにとって、ご復活の祝日は、一年で最大の喜び。
イースターの飾り付けや卵料理の食卓を楽しみにしていた人もいたのでしょうが。
我が家の娘は、復活祭の日に、洗礼を受ける方々のミサの侍者で、教会奉仕をする予定だった。
来年は高校を卒業しているはず(笑)だから、ご復活の頃、東京にいるかさえわからない。
受験勉強の合間をぬって、最後かもしれないご復活の奉仕をするはずだった。
けれども、、、
ミサが無くなり、小聖堂が閉まり、ついに大聖堂とクリプタも閉められた。
皆、自宅で祈ることとなった。
教会に行けない日々が続き、ご復活関連のミサにも与れないとわかり、力がぬけるような気持ち。
そこへ、知らせがきた。
千代紙の裏に祈りと名前を書いて、折り鶴を折り、聖イグナチオ教会に送ると、代わりに折り鶴がミサに参加できると。
娘とふたりで、折り鶴を送った。
ミサが配信され、信者席が映しだされると、、、
色とりどりの折り鶴が、白い布をかけた台の上で、祭壇に向かって並んでいた。
ご復活のミサの後、神父さま達が、挨拶をされて、「クリスマスおめでとうございます!」と間違えて大笑いしたり、「お元気で!」と手を振ったり
幸せな気持ちに、我が家は満たされた。
ミサに参加した折り鶴
小さな折り鶴は前の方に、大きな折り鶴もピン!と立っていて、祭壇を見つめている。
神父さまや教会スタッフが、丁寧に愛情込めて並べてくださっただろうことがわかる。
海外でも、臨終に立ち会ったり、医療器具を「若い人に」と譲り、コロナに感染して、天に召された神父さまがたくさんおられると聞く。
いろいろなこと、さまざまな感情
信仰を越えた信仰のような、目に見えない何か
人はどう生きるべきか、どう死ぬべきか
復活できない人間の命
いつもと違うご復活のミサに満たされながら、ふと、考える