読書の春夏秋冬
娘は、本が好きだ。
娘に限らず、本が好きな子は、世の中に沢山いる。いいことだよね。
娘が本を自分で読めるようになってから、親子で本屋に行く機会がぐっと増えた。
小学校に入学して、通学の電車の中での楽しみが読書になり、更に、本屋へ行く回数は増えた。
学校の図書館等で借りてくることもあったが、本屋で選び、読み、本棚に並べ、時折読み返す、その全てが楽しくて、購入することの方が圧倒的に多い。
小学校低学年の頃は、絵本の進化版であったり、新書サイズだったりもしたが、「大人っぽい」文庫に手を出したら、文字数も内容も、あっという間に大人になった。
なぜか、「何、読んでるの~?」と聞かれたくないし、本を汚したくない娘は、ブックカバーをかけてやると、大喜びした。
そして、手製のブックカバーは、同じクラスの女の子にも羨ましがられて、娘は得意そうにしていた。(まあ、そうなると、アタシも張り切ってまた縫うわけですな。そしてまた、縫ったわけ。ウサギと鹿の刺繍入り(  ̄▽ ̄)へへへ)
読み聞かせは、どこのご家庭でも、幼稚園、小学校でも、ポピュラーになったけれど、私は、あまり読み聞かせをした記憶がない。
それでも結果として、読書好きになってくれたのは、ラッキーと言える。
最初は、私が勝手に本を選んだ。
気を付けたのは、最後が幸せな本。悲しい結末で、本を嫌いにさせたくなかったから。
段々、本人に選ばせるようにしたが、「読書」とは呼べないような本も、こどもは選ぶ。そこで、お母さんオススメの本も読むなら、それも買います、という、セットメニュー方式を導入。
今は、本屋のレジ前に、お互い3冊選んで15分後に集合。というパターンが多い。
一時期、どこが面白いのか理解不能の本ばかりを持ってくるので、内心イラッとしたこともあるけれど
本棚にいつのまにか太宰や漱石もあって、「ふーん」と思ったりしている。
文章にうるさい親なので、作文や感想文を見てはダメ出しをしたりして、娘もさぞかし鬱陶しく思っていたかもしれないが、最近は、国語の教科書の内容で意見を求めてくるようになり、私としては、ちょっと、いや、かなり嬉しい。
私が死んだら、棺にいれてほしい本が何冊があるし、それを娘は知っている。
それも、嬉しい。