明日のほうが きっとしあわせ

昨日より今日、今日より明日。子育て、進学、カトリック生活、仕事、趣味……。

私が決めていいんだよね

私が決めていいんだよね

と、娘が言ったのは、中三の夏だった。

小学校に娘が入学した時、先生から「保護者の方が選んだのでしょうが、、」 というようなニュアンスのお話があったけれど、私は娘が選んだと思っている。そう、夏の制服が着たいばかりに(笑)

小さいときから、なるべく自分で選ぶようにさせていた。

 

たとえば、映画は一年にふたつまで。

今、ポケモンを見たら、プリキュアははずせないし、そうすると、コナンは見られない。

さあ、どうする?

それを聞いた小学校の友達は「かわいそうに、、、」と言ったらしいが、娘は、どうせまたテレビでやるもん!と、割と平然としていた。まあ、プリキュアからは、すでに卒業してたしね。(小学生になると、相棒とかルーキーズとか、違う選択をせまられていたけど)

まあ、どうしても見たいものがあれば、交渉に応じるわけで(笑)

 

勿論お金のこともあるけれど、本当にみたい?本当に必要?本当にやりたい?、ちゃんと判断して欲しかった。

 

小学校から中学は、連絡進学が基本だったので、すんなりと進学した。

映画や習い事どころでない、高校選びは、重大な「選択」だ。

 

いろいろ、ネットをみたり、中学での指導もあったけれど

ある日「ねえ、私が選んでいいんだよね」と言う娘。

そうよ、あなたが通うのだから、最終的にはあなたが決めいい。でも、お母さんにも、せめてここくらいには、というラインがある。学力、校風、立地など。

お母さんの経済力を心配しているかもしれないけど、どうしても行きたい学校が私立でも、それは、なんとかしてみせる。

お母さんを納得させる学校を選びなさい。ただし、「ここなら受かるから」は、理由にならないよ。

 

うん!

娘は、力強く頷いた。

 

娘は、中三の夏、1日最低10時間勉強した。

受験生なら当たり前なのかもしれない。

でも、この態度をみたら、たとえ、私の好みじゃない高校を選んでも、OKをださないとなぁと、私は銀行残高を確認した。

 

娘は、もう高校を決めていた。