明日のほうが きっとしあわせ

昨日より今日、今日より明日。子育て、進学、カトリック生活、仕事、趣味……。

苦労を買う?

若いうちの苦労は買ってでもしろ

 

私、この言葉が大っ嫌い。

 

たぶん、私の親は、大好きだったのだろう。

やりたいこと、買いたいもの、果ては進学にも文句をつけて、私は暗い青春を送った。

学校のクラブ活動ですら、自由に選ばせてくれず、進学先を勝手に親が決めた時、担任は私に「もう勉強しなくていいよ。受かるから」と言った。希望なんて無かった。

 

藁にもすがる思いで、占いで見てもらったら

親に苦労させられる、40代まで苦しむ

と、言われて泣きたくなったのを友人が「占いだから、、、」と慰めてくれた。占い師は、彼女の実母だったのに。

 

生まれた時からの親なんだから、「我慢しなさい」「寝言を言うんじゃない」と言われて逆らうなんて選択はない、そして我慢の期限がくると「また今度」と、私の望みは先送りになる。

世が世なら、私はどこかに売られたのではないか、と本気で思っていた。

あ、嫌な話だ。やめよう。

 

こどもを持つと、親の有り難さがわかる、と言うが、私は娘を産んだ時、全く、その感情は湧かなかった。こんなにかわいいし、面白いのに、なんで私の親は、私を可愛がってくれなかったんだろう、、、と、思った。

親の期待に応えられない出来の悪い娘だったと言われればそれまでだけど。

 

話を戻そう。

苦労を買うなんて、信じられない。

普通に生きていても、どこかで苦労はする。

大きさと量に差はあっても。

それなのに、なんで、わざわざ買う?

苦労は人生の糧になる、と言いたいのだろう。でも、この言葉を作った人?言い出した?人、それこそ、きっと苦労が足りないんじゃないの?

 

自分がした苦労を、なんで誰かにも味あわせたいんだろう。

誰にも、こんな思いをしてほしくない、、、と、思わない?

 

全ての障害を取り除き、レールを敷き、思い通りに子どもを歩ませようとしても、それは無理な話だ。だいたい、親の方が先に天に召される。いずれ、苦労はやってくる。

 

買ってでもする苦労なんていらない。

まさしてや、かわいい子どもや、若い部下に、わざわざ苦労させたいなんて、ナンセンスだ。

苦労を買う

そんなお金があるなら、大切な人と、美味しいごはんを食べた方が、人生は豊かで幸せだと思う。