明日のほうが きっとしあわせ

昨日より今日、今日より明日。子育て、進学、カトリック生活、仕事、趣味……。

点数とカンニングと堪忍袋

小学校の頃、成績表はなかったけど、時々算数とか漢字書き取りとかのテストはあった。

もしかしたら、他にもたくさんあって隠してたのかもしれないけどね。

ある日、娘が

ねえ、お母さん、テストの点数の話なんだけど、、、みんな点数悪いと怒られるんだって、、、、

 

笑ってしまった。

 

うちのお母さんは点数が悪くても怒らないよって言ったら、すごくみんな驚いて、いいなぁって

 

確かに、点数が悪いからって怒らなかった。

ナゼかというと、怒っても点数があがるわけじゃない。点数が悪ければ、本人は恥ずかしいとか悔しいとか悲しいとか、すでに感じている。塾にも行ってない上に、安い通信のドリルもよく溜め込んでいたし、私も日々に追われて、娘の勉強をみてやれてはいなかった。

 

でもさ、いいなぁ、お母さん優しくて、っていうから、なに言ってんの?すっごく怖いんだよ!って言ったんだ

 

爆笑 

確かに、怒る。点数以外で。

結構ひどいめにあってもかなり我慢する私の堪忍袋の緒が切れたら、、、、(笑)。(若い時、見切りをつけたら、バッサリ捨てるから、怖いと言われたことがある)

我慢してる分、怒りだしたら、止まらない。

 

さて、繰り返しになるが、テストの点数では怒らなかった。怒れば次回隠すだろう。そして、親が点数に拘ると子どもは点数欲しさにカンニングをすると聞いたことがあるからだ。

いつも娘に言っていたのは、たとえば小学校三年生なら、今受けたテストで出来なかったことは、三年生の終わりには出来ているようにしなさい、ということ。途中経過で、出来なかったのは、いいのだ、途中なんだから。でも、そのままにして進級するのはダメ、三年生で習ったことがわからないのに、なんで四年生になれるの?

 

でも、たとえば、生意気な口のききかたや、心配をかけるような行動、特に感謝の気持ちが見えないような時などは、泣いて謝るまで許さなかった。

 

誉めて育てる    というのが今の世の中の主流のようで、「うちの子は天才なんです」と言う親が実際にいるのには、本当にびっくりした。

誉めてもらえれば子どもは嬉しい。張り切る。

でも、私は、誉める「だけ」の教育では、ダメだと思っている。

テストも世の中も親も、なめたらいかん!

 

点数で怒らなかったからなのか、隠したところでどうせばれると思っているのか

高校生になった今でも、娘はテストなどの結果は、あっさり出してくる。

あまりにもひどい結果に、感情をおさえて、「次、頑張らないとね」と、すごく頑張って静かに言ってるのに

最近は

「わかってるわよ!だから頑張ってるわよ!」

と、なんだか、向こうが怒ってるみたい、、、。

ちぇっ(´・ω・`)変なの~