努力賞
同級生との初々しい婚約内定記者会見から、長きに渡り、たくさんの騒動が付きまとい、中には、解決をみないまま、結婚の日を迎えられた。
傷ついた花嫁は、皇室の歴史ある儀式を行わない異例の道を歩み、一般的な結婚式、披露宴もなく、金屏風すらない壇上で、静かにけじめをつけた。
私は、野次馬のひとりの立場としては、わざわざけちのついた家に嫁ぐのはどうか、と思っていた。
相手に問題があるのではなく、母親がトラブルを抱えているのだから、若い二人には関係ない話でもある。
だが、これから結婚しようという時に、親のトラブルを、相手の家に、説明しきれない、納得させられない、というのは、いずれ、どこかで、自身の親と嫁の間にきちんと立てるか、という不安要素になる。
トラブルは、お金だろうが、生活スタイルだろうが、どこの家庭にも少なからずあって、ようは、それを解決し得る力や意識があるか、なのだから。
その点で、私はK氏、大丈夫かな、と思っていた。
ただ、はじめから気になっていたのは、K氏の母親である。
私も母親の立場であるから、元婚約者にお金を返す返さないよりも、健康上の都合で、元婚約者の面会要求に応じなかったのには、合点がいかない。
息子の為に、かつてお金の工面に動いたのが本当なら、今、なぜ出来ないのだろう。
私だったら、身の危険があるなら、警察立ち会いの元でも、這ってでも、行く。
そもそも、急に躍り出た元婚約者は、お話にならないけど。
まあ、いい。
昔、これまでの結婚生活について、点をつけるとしたら、という質問に
点をつけるのは難しいけれど、もし、つけるなら、点数ではなく、努力賞というのにしたい
とおっしゃった。
初めて民間から皇室に嫁いだ美智子さまを、本当に愛してらっしゃるのだなあ、と思ったものである。
この度、結婚された眞子さま
初めてのお子さまとあって、秋篠宮夫妻は格別の思い、愛情と、厳しさを持って育てたに違いないと思う。
なにが、真実なのか、端からはわからない。
ただ、結婚までの道のりを、傷つきながら歩んだ眞子さまには、努力賞あげてもいいのじゃないかしら。
どうか、お幸せに。
作家というもの
2020年、遠藤周作の未発表の作品が見つかった
しかも、清書までされたもので、なんと草稿2枚まであるのだという
先日、夜遅くに、その作品「影に対して」をメインに、遠藤周作についての番組があった
遠藤周作の弟子や、遠藤周作記念館の学芸員は、草稿にある、アスハルト(アスファルト)と砂浜の、ふたつの単語について熱く語る
影に対しては、自叙伝的な作品であるとのことだから、ファンは勿論、弟子や学芸員のテンションが爆発的に高いのは仕方ない
これを見て、益々、その原稿をこの目でみたい、と思った
遠藤周作は、近年、沈黙 という映画で、また注目された
私は、遠藤周作のファンではなかったので(ないので)、彼の人となり、というか、生い立ちや、ちょっと面白おかしいエッセイのような作品にも、興味はなかった
ただ、海と毒薬 などいくつか、歴史小説なども読んだし、素晴らしい作品だったと思う
娘の高校の教科書にも作品が載っていた為、娘とその作品について語り合ったりもした
さて、話を戻す
自分の生い立ちを元に、また、そのままに作品として書く作家は少なからずいる
代表的なものは、やはり太宰の 人間失格 だろうか
そこに好き嫌いは出るだろう
その好き嫌いが影響して、遠藤は、代表作のひとつ、沈黙の結末というか題材そのものというか、ノーベル文学賞をとり損ねたと言われる
遠藤周作は、母の影響でカトリック信者になったわけだが、ある意味、父への敵意も、後押ししたように、私は思う
自叙伝的、影に対して は、まるでアスハルトを歩く父と、砂浜を行く母の姿を通して、生活と人生を、描いている、と、テレビ番組では、次々と興奮するように語られた
しかも、この作品が書かれたのが、沈黙の執筆時期と重なるとか、、、
しかし、だ
作家というものは、人生とは何か、を常に書こうとしている悩ましいものであると思う
漱石も、鴎外も、太宰も、、、、
沈黙も、海と毒薬も、影に対しても
ヨブ記を書きたいと望みつつ、ついには天に召され、その願いは叶えられなかった遠藤周作
葬儀は四ッ谷の聖イグナチオ教会で執り行われ、一度は別地に葬られたが、その後、聖イグナチオ教会の地下に移された
人生を、人はどう生きていくべきなのか
あれほど望んだヨブ記で、何を書いたのか、読みたかったとつくづく思う
聖書には
生まれる時、死ぬ時は神が決める
その間だけが自分のものである
とある
アスハルトも、砂浜も、自分が選んだ人生で、どちらも間違いではない
作家は、人に、どう生きるかを問う
まるで、自分自身に
まるで、神に
求めるように、問うように、、、
娘の行く道
今まで、小さな認定試験から、検定試験、幼稚園や小学校、中学校、高校まで、娘は試験と名のつくものは、全てクリアしてきた。
本番に強いというか、運も強くて、小学校は特に1600名の中の23名という限られた入学許可を掴んだ。
そんな娘が、大学受験に関しては、見事なまでに、落ちまくり、最後は、狙う学部を変えようかというような気の弱さであった。
うち、お金ないよね、、、と涙をこぼしなから、浪人中である。
入学にあてるはずの資金を予備校に振り込んだことを知る娘は、いつか、予備校代は返す、なんて言ってる。
娘は、特別出来るわけでもないし、地味で目立たず、こつこつと勉強するタイプ。
中学までは、生徒数の少ない学校で、教官も生徒の細かな癖まで見て、口数の少ない娘をよく指導していただいた。
高校は、小学校にくらべたら10倍近い生徒数であるし、だから行き届かないという意味ではないが、親としては、娘の地味な良さを評価してもらえなかったような、寂しさがあった。
さて、学校の評価を武器に、推薦という制度を使う手もあるけれど
娘は、最初から、それを考えていなかったし、それでよいと私も思っていた。
今、あっというまに夏の盛りを過ぎようとする中
娘は、昨年と微妙に違う受験大学を絞りつつある。
そして、何より違うのが
行きたい学部、行きたい大学が明確で
例え二浪になろうとも、この大学にはいかない、という意地があることである
自分の進路に関わりのあるニュースが流れると、食い入るように見ている娘
お母さん、いつも言うよね
犯罪者以外、何になってもいいよ
って
自分の人生なんだから、なりたいものになりなさい
って
そう、しかも、もし、娘の行く道が、誰かの救いになるならば
それは最高である
人として、どう生きるか
どんな進路であっても、そこが大切なんだよ
計画的 常識的
私は家計については、かなりのどんぶり勘定で、お陰で、時々、赤字どころか破産か?という場面に遭遇する。
夏休みの宿題とか、計画的に進めたことなどない。
それで、娘には、きちんと計画を、と言うのだから申し訳ない(小声)
それでも、必要に迫られて、娘の学費や修学旅行のあれこれは、数年先まで見越して準備するようになったのは、私が親になった必然というしかない。
さて、娘が小学生の頃は、冬に夏の通信ドリルをやっているのを見て
これではサンタクロースは来ない!
と激怒したものだが
いつのまにか、我が家で娘が一番几帳面さと計画的をみせるようになった。
そして、自分で決めたルールは、ほぼ100%、守るから、我が子ながら、たいしたものである。
先日、職場で、有給休暇について、また騒ぎがあった。
また、というのは、有給休暇を貯めて貯めて、二年で消滅することを知らなかった、と騒いだ人Sさんがいたことがある。これは、Sさんも、せっかくの有給休暇を有効に消化出来なかった残念さがあるが、経営側も、有給休暇を使わず、欠勤を重ねられると、翌年の予算に影響が出るから、なかなか根深い問題なのだ。
さて、今回は、Kさんは気をきかせたつもりなのだろうが、休むかどうか、今ハッキリできないけど、明日の朝にはわかるから、休むときは朝電話するから有給休暇にしてほしい、と申し出た。人事というか、総務というか、管理としては、有給休暇は前もって申請するもの。急な有給休暇の取得は、急病などの予期せぬできごとに限る、と応じた。今、コロナ禍で、在宅勤務させるかどうかで、てんやわんやの時でもあるし、そもそも、管理の応えは、当たり前である。
それを、Kさん、急に家の事情ができたりする!と食い下がり、仕事仲間に話してやるぞ!と居直り、更に、みんな知らないはずだ、文書にしろ、と迫ったらしい。
バカみたい である。
管理も大人だった。
どうぞ、話す話さないはご勝手に、こんな常識的な話を改めて文書に出すつもりもありません
拍手
娘に話したら、
有給休暇の事前申請?当たり前だよ
まだ、就労した経験のない娘が、である。
60近いKさん、計画的 と言うより、常識的 を知らずにきたのは、なかなか残念な話。
コロナが壊す
最近知った単語にきょうだい児というのがある
このところ、世の中は、コロナとワクチンに関する単語であふれている
我慢できない
なんとかしてほしい
問題は新しいウィルスなのだから、映画みたいにスーパーマンとかパスターズが、たちどころに退治してくれたりはしない
でも、いつかは新薬が出来て、解決に向かうはず
それまで医療機関が、医療従事者が、もてばいいけど
医療関係の記事を読むうちにみつけたのが、「きょうだい児」である
これは、何らかの障がいを持つこどもの兄弟姉妹を指す
大人と言われる年齢であっても使われるらしい
昔、私がある程度の年齢になった時、母が言った
親戚との縁談はダメ、血が近すぎるから
私の家系は、華族さまではないはずだが、ようは華族以外とは結婚は考えられない的な歴史があったらしく
これ以上血が濃すぎると異常者がでる、と、母は恐れたのだろう
そんな母だから、親戚でなくとも、私の結婚相手はある程度調べる、とも言っていた
本人だけでなく兄弟姉妹もだ
たぶん、私の縁談が、きょうだい児なら、母は許さなかったわけである
義父母、養父母からの虐待は、逆に血の繋がりがないが為のようにも見受けるけれど、実父母からの虐待も、悲しいかなニュースなどでしらされる現実
親に長生きされても、子どもは、いつか親から解放される
しかし、兄弟姉妹に所謂障がい者がいる時、情があればあるほど、いつまでもしばられてしまうのが、きょうだい児なのかもしれない
それを理由に、自分の人生の選択も狭くなるだろう
コロナで、いよいよ、救急搬送や入院が間に合わない現実がある
家族やきょうだいの我慢や努力で、なんとか賄ってきた家庭の図式
ストレスや失業や在宅で、いままでなかった虐待などが起こり得る家庭の図式
ストレートに、感染して死亡するだけでなく、家庭も医療も、コロナが壊していく
病んだ精神
最近、承認欲求という言葉をよく耳にするようになった。
なんか、かっこいい病名?みたいな響きもあるけど
昔は、自慢とか虚栄心とか、それに近い嘘が、これだったのかも
あと、 私はこんなにかわいそう っていうのも近い
かつてお世話になった先生が、ある時
いろいろつらいことがあったが、それを黙っていることで、僕は乗り越えてきた
と、おっしゃった
私は、その時、15か、16だったのだが
とても感動したのを覚えている
私のおかれた家庭環境は、ひきいめに言っても、悲惨な状態だったから、見栄をはり、嘘をつき、なにか得意なことが評価されれば自分がこの世で一番のような気持ちになったし、経済的なことについては、親に遠慮をして、自分の好みではない物や進路を宛がわれても、受け入れるしかなかった。
進みたい大学を諦めて、夜学に決め、昼間は企業に就職したわけだが
家庭にいる時間が減ったことは幸いで、もし、就職だけだったり、大学だけだったら、精神を病んだのではないか、と思っている。
娘と同い年の女の子が、家から出た方がよいだろうという勧めと本人の希望から、地方の有名大学に進んだが、公開されているツィッターをみると、不安になる。
きっと高校生の時点で、鬱の診断がでていたのだろう。精神安定、抗うつ、睡眠導入に使われる薬と、カフェインを交互に飲んでいるように見えるから。
家庭が負担になり、家族に見守り養育する力がなかったとして、では、ひとりで家庭から離れても、安定に向かっているようには見えないから。
人は、いろいろな苦しみを抱えて生きていく。
ただ、精神を病むほどの苦しみは、どこかでうまく手放さなくてはいけない。
もしかしたら、つらい思いを人に打ち明けないことで生きてきた先生も、語らない、という事実を自分自身確認することで、苦しみから逃れていたのかもしれない。
そして、私にそんな話をしてくれたのは、私の中に、似たような苦しみがあることに、気づいてくれたのかもしれない。
危うくみえる女子大生は、ツィッターに逃れているのかもしれない。
病むほどに、苦しんではいけない。
私は、過去に戻りたいとは思わない。
きっと楽しいこともあったのだけど、苦しいことが、それを上回ってしまい、思いだすのがつらいから。
過去の苦しみは、過去にある。
明日は、今日より、いいはずだ。
いじめ体質の末路
なんかのアニメみたいだな、と思う
嘘と保身
前回書いたどたばたは、チーフや人事に伝わるところとなり
在宅勤務のあとウキウキでてきたいじめ体質さんが、まわりの人々に、自分に都合よく話す
一応、きいたところで
それ嘘だよね、保身だねって、チーフも知ってる
と、突き付けられたら
50のおばさんの涙
はい?ここで泣きますか
たぶん、いじめ体質団体は辞めない
でも、いじめ団体は、嘘つき団体でもある、と認定されたから、もう脱退しようが解散しようが、汚名返上する頃には引退である
ずっと我慢してきたあの人が、身を削って反撃しことが、こういう結果になってよかった
まあ、安心できないけども
黙って、正直に、頑張っていたら、庭の木の下から小判が出てくる
日本は、そういう国であり続けてほしいな
ちっさい意地悪おばさんの話から、
ちょっと、デカイ話になったけども(笑)