未来を見せて
長崎市の議長をされている佐藤氏。
2歳で被爆したといい、口元にはその時の傷跡が今も残る。
長崎市の為に尽力しつつも、自分が被爆者であることを隠してきた。
しかし、、、
次々と語り部が亡くなり、、、
このまま黙っていることは出来ない
と決心されたのだという。
被爆は、その人の罪でも罰でもないのに、隠さねばならない「傷」なのだ。
その傷が為に、心ない中傷に耐えきれず、自殺した人、発狂した人もいる。
せっかく、せっかく、生き残ったのに。
被爆した時の怪我で、右目を失明し、その傷を誰にも見せずにきた方がいる。
佐藤氏に「見せてくれんね」と言われて、初めて外す眼帯。
私は、広島や長崎で被爆した絵にある人々の顔を思った。
黒く窪んだ穴のように描かれた目を。
それに納得出来たのは、数年前、初めて長崎を訪れた時に「被爆マリア」を見たからである。
破壊された浦上天主堂の瓦礫の中から奇跡的に掘り出されたマリア像は頭だけで、美しかった顔に輝いていたはずの瞳は暗い洞窟だった。
眼帯の下にあったのは、被爆マリアと同じ洞窟のような、光を失った瞳だったのだ。
ああ、被爆した人々の絵は、こんなにも正しく、悲しい証言だったのか、、、
どうか、目を閉じて既に天に召された人々にも、今日も悲しみを堪えて生きる人々にも、、、
きっと、平和な未来を見せてあげられますように
そう、、、
せっかく外してくれた眼帯の下にある瞳にも
被爆国、日本には、そうする責任がある。