明日のほうが きっとしあわせ

昨日より今日、今日より明日。子育て、進学、カトリック生活、仕事、趣味……。

魔が差す

ああ、そんな言葉があったな、、、と思った

 

魔が差す

 

このところ、続いた自死のニュースは、まさにこれなのではないか

 

心にもないことを

これについては、なかなかコメントが難しい

 

私達、カトリックの信者は、

「祈ってるだけでは何も変わらない」と、意地悪を言われることがある

だけど、祈りは、信者にとって基本であり、よりどころである

 

祈りは、何の資格も道具もいらない

時間や場所も、スタイルも制約はない

そして、こんな尊いことはないと、私は思う

 

金持ちになりたい、成功したい、などは、祈りではなく願いだ

 

誰かの為に何かの為に祈りはあると思う

 

祈りは、心に火を灯す

やがて言葉になる

行動になる

祈りは、「祈っているだけ」では終わらない

 

そんな日々に

ふと忍び寄るのが「魔」なのかもしれない

 

私の霊名は

マリア アスンプタ ジュヌヴィエーブという

マリア アスンプタは、聖マリアの被昇天

ジュヌヴィエーブは、パリの守護で、闇に蝋燭を持った姿で描かれたりする

その背後には、天使と悪魔が覗きこみ、悪魔は蝋燭の火を消して闇に取り込もうとしている

 

ああ、これ以上、悪魔が命の灯火を吹き消しませんように

 

突然の女優の自死

「魔が差したとしか言いようがない」

と誰かが言った

本当に、、、と思った

 

コロナという悪魔の嵐の中、ひとつ、ひとつ、灯火を守りたい

代わりのないひとつ、ひとつの灯火を