パパさまのミサでボランティア
パパさまのミサの話をしよう。
ミサに与るには、「当選」しなければならない。(5万人入れる、という東京ドームミサ)
信者優先と言われて、所属教会(信者名簿に登録があります)に教会コードを貰いに行き、「どうやら確率は50%らしい」と言う噂にドキドキしながら応募し、、、SNSなどで「当たりました」なんて投稿を見てドキドキし、、、、、絶望。
当選葉書は来なかった。
しかし、かなり早い段階で「ボランティアを募集している」と、親しくしている信者のお友達から声をかけていただいて、そちらに娘とふたり分の名前でエントリーしていた。
結論から言うと、私と娘は、ボランティアに参加することで、ミサにも与れる幸福を得たのだった。
ミサは午後からだが、朝からドームに向かう。
車椅子の方々の誘導が、担当だった。
あれほど、信者優先と期待をさせて、蓋を開ければ、そうではなかったことに、ガッカリしたり怒りを覚えたりした。「キリスト教系の学校でまとめて1000人席をもらった」などという話に、今は学校に10%も信者はいないというのに?だったらその分信者に回してほしかった!ともやもやした。
でも、、、車椅子の方々、その付き添いの方々は、たずねたわけではないけれど、信者さんだったろうと思う。年配の方は「38年前もきました」とおっしゃったし、点滴をさげて大型の車椅子の方を数人で付き添っていらしたご家族は道中大変な思いをしてたどり着いたと思われた。ただの興味でやってきたとは思えない。
杖で頑張ってきました、というご婦人には「ゆっくり、ゆっくりで!」と声をかけ、娘に「一緒に!ゆっくり!」と隣を歩くようにと叫んだ。指定された席に着く頃には、汗びっしょりで、それでも満面の笑顔でらした。
ドームは身障者に優しい造りではない上に、はしゃいだ子どもが車椅子の行く手を塞ぐ。
それでも、文句ひとつ言わず、たどり着いた席で、「ありがとう」とおっしゃる方々。
自分は、まだまだ浅いな、、、と思った。
ミサの葉書が来なかったのは、やはり悲しかった。
でも、はずれた人の悲しさを心底味わって、ボランティアで働いて、そしてミサに与ったのは、娘にとっても、私にとっても、実は大変なお恵みだった、と思う。
声をかけてくださったお友達夫妻にも、感謝しかない。
さて、、、後日、ある人が「はずれてよかったじゃない。ボランティアの席、いい席だったんでしょ」と言った。
(いや、よくはないんだ、よくは。)
この種の発言については、また改めて。