明日のほうが きっとしあわせ

昨日より今日、今日より明日。子育て、進学、カトリック生活、仕事、趣味……。

また会う日まで


f:id:nobishiroarimasuyasukosan:20191208114852j:image
エルさんの訃報を耳にした時、「パパさまに会えたのだろうか」というのが、まず頭を過った。

教皇ミサから数日しか経っていなかったからだ。

その後、インスタグラムで、パパさまと笑顔で向き合う姿がアップされ、安堵したのは私だけではないだろう。

 

学校帰りの娘と合流して、通夜に向かうと、席数700と言われる聖堂はすでに満杯で、私達の後からも次々と多くの人々がやってきた。

通夜は静かに進行し、通常、喪主の挨拶の場面のことである。

「ブラザーは、お別れの挨拶をテープに遺しておりました。司祭からの挨拶のかわりに、今から流します」

どよめきが、聖堂に広がった。

ブラザーの肉声、、、ザビエルの祈り、そして「また会う日まで」の言葉に、皆涙がとまらなかった。

 

翌日、仕事を休んで葬儀告別式に向かった。

昨夜につづき、平日の午後の聖堂は、やはり満杯だった。

葬儀が始まり、親しかった神父さまが、本来は聖書から話をするところだが、マノロ(ブラザーの愛称)は特別だから、彼の話をしましょう、と、数々の明るいエピソードを披露し、皆が笑顔になり、そして「天はにぎやかになるけれど、私達は寂しくなった」、、、皆、涙をこぼした。

そんな中、気がつくと、聖堂のイエズス像に冬の光が射し込み、強く輝くようだった。

ああ、イエズスさまが迎えにきてくださったのだ。

そして、葬儀から告別式に移るにつれ、光は薄くなっていく。

エルさん、行ってしまった、、、と思った。

そして、衝撃の言葉を聞く。

ブラザーの願いがふたつ。

ひとつは、献花ではなく香を。

ひとつは、火葬ではなく献体を。

 

棺の中のエルさんは、凛々しく聖人のような美しい面立ちだった。

そして

私達は、忘れない。

ブラザーが、神に、弱き人々に、身も心も魂も、すべてを捧げ尽くしたことを。

 

ブラザー  マヌエル エルナンデス

また、会う日まで