また会う日まで
エルさんの訃報を耳にした時、「パパさまに会えたのだろうか」というのが、まず頭を過った。
教皇ミサから数日しか経っていなかったからだ。
その後、インスタグラムで、パパさまと笑顔で向き合う姿がアップされ、安堵したのは私だけではないだろう。
学校帰りの娘と合流して、通夜に向かうと、席数700と言われる聖堂はすでに満杯で、私達の後からも次々と多くの人々がやってきた。
通夜は静かに進行し、通常、喪主の挨拶の場面のことである。
「ブラザーは、お別れの挨拶をテープに遺しておりました。司祭からの挨拶のかわりに、今から流します」
どよめきが、聖堂に広がった。
ブラザーの肉声、、、ザビエルの祈り、そして「また会う日まで」の言葉に、皆涙がとまらなかった。
翌日、仕事を休んで葬儀告別式に向かった。
昨夜につづき、平日の午後の聖堂は、やはり満杯だった。
葬儀が始まり、親しかった神父さまが、本来は聖書から話をするところだが、マノロ(ブラザーの愛称)は特別だから、彼の話をしましょう、と、数々の明るいエピソードを披露し、皆が笑顔になり、そして「天はにぎやかになるけれど、私達は寂しくなった」、、、皆、涙をこぼした。
そんな中、気がつくと、聖堂のイエズス像に冬の光が射し込み、強く輝くようだった。
ああ、イエズスさまが迎えにきてくださったのだ。
そして、葬儀から告別式に移るにつれ、光は薄くなっていく。
エルさん、行ってしまった、、、と思った。
そして、衝撃の言葉を聞く。
ブラザーの願いがふたつ。
ひとつは、献花ではなく香を。
ひとつは、火葬ではなく献体を。
棺の中のエルさんは、凛々しく聖人のような美しい面立ちだった。
そして
私達は、忘れない。
ブラザーが、神に、弱き人々に、身も心も魂も、すべてを捧げ尽くしたことを。
ブラザー マヌエル エルナンデス
また、会う日まで