お兄ちゃんと妹
大学のサークルを検索していた。
高校受験の時も、娘は部活にこだわりがあったから、大学も好きなサークルがある方が頑張れるかな、なんて親バカで。
ある大学のサークルのお知らせに、○○○○さん訃報とあって、ギクリとした。
お兄ちゃん?
私の出身大学ではないが、大学の音楽系サークル、名前に見覚えがあったし、少々珍しい姓で、同姓同名は考えられない。
若い頃、お兄ちゃんとは九州でのライブで二度ほど共演し、歳が近かった彼の妹と私は仲良くなった。
東京のお姉ちゃん、と言われて、交流が続いて、広い屋敷に泊めていただくこともあった。けれど、なにしろ東京と九州で、毎年遊びに行くわけにもいかず、お兄ちゃんが地元で結婚、さらに数年後、おおいに揉めて離婚になったという話をきいて、お兄ちゃんは勿論、妹ともなんとなく疎遠になったのだった。
どうしよう、、、。
連絡先、覚えてないし、、、。
ところが、携帯ってすごいよね。
残してあったわけですよ。妹の連絡先。
あちらも、携帯に私の番号を残していたそうで、電話をかけたら「お久しぶり!」と懐かしい声だった。
元気だった?と、互いに言い合って
もし、間違いだった失礼なんだけど、、、と切り出すと、うん、そうなんよ、バタバタやった、、、。
お兄ちゃん
病気が見つかった時、すでにステージⅣ
もう外科的手術は不可能で、ただちに休職。自宅で療養生活に入った。
その時は秋の終わりで、「一年くらいは頑張れるかな」と妹達は思ったそうだが、翌年の春、一気に悪化して、入院するも、力尽きたのだという。
診断を受けて半年だった。
ギターと猫が好きな青年のイメージが、今も残る。
由緒ある家の跡取りだった。
明るい青年だったが、自分の余命を、どう受け止めたのだろう。
そして、ギリギリまで、広い敷地にある広い屋敷で、ひとりで療養生活。
たったひとりで余命と向き合うのは、大変なことだっただろう。
いつか、お参りにいけますように。