天才?
褒めて育てる
ていうのが、流行って久しい。
昭和育ちの私は、(まあ確かに出来も悪かったから)、随分けなされて育った。
きっと、何かやらかしても
「うちの子に限って、、、」なんて絶対言って貰えないだろうと、思っていた。
自分が親に期待されない寂しさを抱えて大人になったからと言って、子どもに負担になるような期待はかけないようにしたい、とは思っていたし、、、
それでも、これくらいは、、、という期待もしてきた。
そして「この子には、この子の人生」と、本人の意思を大切にしてやろうとも、思ってきた。
さて、褒めて育てることに、私は反対ではない。
褒められて嬉しくない人はいないものね。
嬉しくなれば、また頑張るし。
でも、褒めるだけで育てるのは違う。
怒られたり、我慢したり、そういう経験が少ないと、理由のない自信で、まわりを不愉快にさせたり、理不尽なことにも時には我慢したり、素直に謝ったり出来ないように思う。
「うちの子は天才なんです」
まあ、小さい時に、自分の子どもが世界一かわいくて天才だと思うのは、「素敵な親バカ」として、有りだと思う。
実際、昔、娘が赤ちゃんだった頃、娘の父親が帰宅して
「かわいそうな人に会った」と言ったことがある。
???と思って話をきくと
「エレベーターに娘と同じくらいの赤ちゃんをベビーカーに乗せた夫婦が乗ってきたんだけど、うちの子の方が断然かわいくて、あんなに顔がまずくても親はかわいいと思ってるんだろうな、と思ったら、気の毒だった」
と言った。
うちの子が最高だという親バカの例である。
小さい時は、こういうことあるんだな(実感)
でも、ある程度大きくなった我が子が、本当に天才だったら
親が褒めて、天才だ!と叫ばなくても
世界が放っておかないんじゃないの?
別に、ひがんでるわけじゃないのよ、アタシ。
うちの子にも、いいところあるのよ(小声)