名前のように
カトリックの信者でないと、少しわかりにくいだろうが、私達クリスチャンには、本名の他に、洗礼名がある。
洗礼は、二度目の誕生日のようなものだ。
マリア、ヨゼフなどの聖人の名前がつけられて、マリア・セシリアというように二人の聖人の名前を組み合わせたり、フランシスコなどの男性名をフランシスカと女性名に変化させる場合もある。
最大で3つくらいまで、組合せられると思う。
マリア・グラシアなど、2つのようにみえて、喜びのマリア という場合もある。
男性に、マリアの、、、という意味で、マリアが使われる時もある。
自分の洗礼では、散々名前で、じたばたしたけれど、娘の洗礼名は、早くから私の中にあった。
無原罪 である。
マリアさまの被昇天が、マリアの人生の終わりであるならば、無原罪は始まりかもしれない。
始まりは、いい。可能性の塊だ。
そして、自ら洗礼を望んだ娘6歳児(笑)に、ひとつ、自分で洗礼名を選んでいいよ、と言った。
娘は、いくつか、迷って、一度は他の名前に決めかけたが、羊を抱っこしていてかわいいから、とのことで、アグネスを選んだ。
私の希望と娘の希望を組み合わせた洗礼名は、ゴージャスなものになった。
洗礼については、聖イグナチオ教会は勿論、幼稚園の園長シスターにも、大変お世話になったのだが、娘の洗礼名を伝えるとシスターは「アグネスは、ぴったりだわ」と誉めてくださった。
不思議なことにクリスチャンは洗礼名のように生きる、と言われる。
娘は、これから、どんな人生を歩むのだろう。無原罪のマリア、アグネスの名と共に。
どうか、その名のように、清らかな人生でありますように、、、、。