私の洗礼
疲れていた。
仕事からの帰り道、ついタクシーを拾う。すると、右に教会が見えて、左に教会が見えて、家につく。
教会の十字架が夜空に浮かんで見えると、涙が出そうになった。
明確な理由なんて、無かった。
そんな日々が続いたらある日、遠縁の叔母に、電話をした。
その話をすると
「種が蒔かれたんだわ。教会に行きましょう」
私がご紹介出来るのは、ここしかないから、と連れて行かれたのは、四谷にある聖イグナチオ教会。
ホントに紹介しただけで、叔母は帰ってしまった(笑)
それから、毎週、故山本襄司神父さまの聖書を読む講座に通った。
講座のあとは、神父さまと講座の皆さんと食事に行った。
それから、約一年、洗礼を受けたらどうか、、、とのお話があったが、まだ勉強不足と思い、見送った。
更に、半年「もう、いいだろう?」と言われて、洗礼の準備に入る。
洗礼を受けるにあたり、まずみんな悩むのが洗礼名。
神父さまに相談すると、
「マリア」がよいでしょう。
私は、マリアさまのお名前をいただける器ではない、、、と、かなり抵抗したが、神父さまは、絶対に「マリア」とおっしゃる。
マリア・○○でもよい、だけど、絶対にマリアははずせないとおっしゃるのだ。
シスターに相談、叔母に相談、、、。
当時、私は、もう39だった。子どもを持つことはないだろうと考えていて、いや、諦めていて、神の母であるマリアさまのお名前は、違うのではないか、、、、というのが根底にあった。
ある日、シスターからの電話。
神父さまのおっしゃっる通り、マリアは、本当に良いと思いますよ。
この世で一番お苦しみになったマリアさまの名をいただくと考えたらいかが?だからこそ、天に身体ごと昇られたのだから。
あなたは今までじゅうぶんに苦しんだのではないかしらね。
私の洗礼名は、マリア・アスンタ
つまり、被昇天のマリア と決まり、洗礼という喜びの日を無事迎えることができた。
洗礼の翌年。
私は娘を授かり、母になった。
マリアがよいでしょう。
山本神父さまは、きっと、なにもかも、全てお見通しだったのだろう。